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| ■9月の特集「落ち着いた街並み/桜山〜瑞穂通界隈を歩こう!」(2007年掲載) |
9月に入り、幾分しのぎやすい日が多くなり、街を歩くのが楽しい季節になってきました。 今月は、画一的な住宅街と思われそうですが、実際に歩いてみると古墳や文化的施設があるだけでなく、住宅が様々な表情を見せてくれる「まち」として、昭和区・桜山から瑞穂区・瑞穂通一帯をご紹介します。 ■昭和区・桜山から八高古墳/桜と歴史のある界隈
今回は、地下鉄桜通線の「桜山」駅8番出口からスタートです。 改札を出て、桜山交差点にある8番出口へ向いますが、出口付近の地下通路左手に桜が大きく写ったパネルが見えてきます。 パネルは季節によって入れ替えられるようですが、「桜山」という事を改めて感じさせてくれます。
8番出口を出た所が桜山交差点で、交差点を中心にしたエリアが桜山商店街です。 「桜山」という地名は、桜が多く花見ができた所というのが由来です。 街の発展と共に桜は無くなってしまいましたが、数年前から桜山商店街では「桜」をテーマに様々な取り組みをしています。
アーケードに中に「桜山ふれあいストリートギャラリー」があり、地域の方の作品の発表の場として利用されています。 また、アーケードの柱に桜の絵が貼られていますが、全国の有名な桜を紹介したもので、柱ごとに違う紹介がありますから、商店街を歩いて比べてみても面白いかも知れません。
商店街を抜け、暫く歩いてから左手(南)に折れると、コンクリートの塀が見えてきますが、昭和税務署の隣が名古屋市立大学山の畑キャンパスです。 この先に大学の正門がありますが、そこから見えるのが「八高古墳」です。 鶴舞から桜山のエリアにはかつて多くの古墳があった所ですが、「八高古墳」は一部が失われているものの、今の残っている数少ない古墳です。
古墳は大学の正門の直ぐ横の小山ですが、「八高」とは旧制第八高等学校の事で、その敷地内にあった事から付けられた名前です。 旧制第八高等学校の面影は何処にもありませんが、当時の校門は明治の高等学校の代表的な洋式門として博物館・明治村に移設され、正門として今も利用されています。
正門から引き返して直ぐの角を右手(東)に折れると、樹齢100年を越える巨大なクスノキが見えてきます。 ここは「神明社」と呼ばれる神社で、ご神木の大楠をはじめとする巨木が何本もそびえています。 直ぐ近くには、門前に「野仏阿弥陀・三観音」が祀られている信正寺があるほか、南西の方向にはいくつかの寺社がありますので、民間信仰を訪ねてそちらの方面を歩いてみるのも良いかも知れません。 ■瑞穂通から東山荘(とうざんそう)/レトロな光景が見つかるまち
「神明社」から東に歩き、瑞穂通を抜けて東山荘へ向いますが、市大病院前交差点の角にはユニークな外観の建物があります。 昭和初期建築の洋館付きの和風住宅ですが、この地域には「となりのトトロ」に出てくる「サツキとメイの家」のような感じの家がいくつかあります。
写真で示す事は出来ませんが、そんな家が点在しているのがこの地域の魅力です。 交差点の反対側が名古屋市立大学の川澄キャンパスで、大きなビルがいくつも立ち並んでいますが、中には大学本部や医学部、看護学部、付属病院があり、地域医療の拠点ともなっています。
大学の前の通りから南に折れて、住宅街の中を歩きますが、この辺一帯は1920年代に土地区画整理組合が出来て、宅地開発が進んだ地区ですが、画一的な住宅が立ち並ぶ光景とは異なり、個性で変化のある家が並ぶ興味深い地域です。 中には、そんな民家を改装したレストランなどもあります。
先ほど触れた「サツキとメイの家」に似た家もこの辺りにあります。 暫く歩くと山崎川にかかる「白雲橋」が見えてきます。 橋の向こう側が「初日町」と町名で、昭和8年の区画整理の際に付けられた町名で、その際に名付けられた橋名と伝えられています。
「山崎川」は山崎村(今の南区北部)に流れる事から付いた名前ですが、古くは地域によって別名が付けられており、この辺りでは「石川」と呼ばれていました。 そのため「石川町」という名前が残り、石川に掛かる橋がある所と言う事で、この北にある場所が「石川橋」(昭和区)と呼ばれている訳です。
白雲橋を渡って右手(南)に折れて川沿いの道を進みますが、石川橋からこの先の瑞穂公園までは両側に桜の木が植えられ、春の開花時期には見事な桜並木が続く、花見のポイントとなっています。 そんな時期に、是非改めて出かけたいですね。
左手に、うっそうとした林が見えてきます。 これが「東山荘」(とうざんそう)と呼ばれる山荘の敷地の一部です。
「東山荘」は大正初年から10数年かけて、綿布商・伊東信一氏により築造された山荘で、名称は伊東家の山荘という意味で付けられました。
林に沿って曲がりって行くと、「東山荘」の入口であるかやぶきの門の前に出ます。 「東山荘」は昭和11年に名古屋市に寄贈され、一時期は市長公舎として利用されましたが、昭和43年から市民に開放されて、茶室や和、洋室などは手軽な料金で借りる事が出来ますから、茶道や花道の催事や読書会などに利用されています。
「東山荘」は周りを樹木に囲まれているために外部からは判りにくいですが、広大な敷地には自然回遊式の庭園や数寄屋風書院造りの建物などがあります。 庭園の見学は無料ですから、時間が許せばゆっくりと見学したいものです。(休館日:月曜、開園時間:午前9時〜午後4時30分)
「東山荘」の南側を回ると「向田橋」(むかいだはし)が見えてきます。 昭和6年以前はこの辺りが「弥富町向田」という地名だった事から付けられたそうです。 《↑このページのトップにもどる》■東山荘から博物館通り/カルチャーが学べるまち
「向田橋」からまた山崎川に沿って南に下ります。 相変わらず桜並木が続く道ですが、川は近代的な護岸工事で、遠い存在になったような感じもします。 ただ、この辺りには川に下りれる場所が設けられていますので、下りて水辺の雰囲気を楽しむ事も出来ます。
次に見えてくる橋は「石川大橋」ですが、石川に掛かる大きな橋という意味でしょうか。 鉄筋コンクリート造の比較的新しい橋ですが、欄干の照明が洒落た感じです。
「石川大橋」を渡り西に向いますが、道は緩い上り坂で、両側の歩道に植えられた桜並木が見事な光景を作っています。 この辺りは平地に見えて、実は西から東に向って下ったような地形になっていて、緩やかな起伏があちこちに見られます。
暫くすると右手に大きな松が見えてきます。 これは「塩付街道・名残りの松」で、昔の街道の面影を伝える数少ないものですが、その街道を「塩付街道」と言います。 その昔、今の南区星崎辺りの海岸で作られた塩が、遠くは信州塩尻まで運んだ道筋と言う事から「塩付街道」と呼ばれたのですが、歴史の浪漫を感じさせる名前です。 また、この辺りの「汐路町」という地名も「塩付街道」にちなんで付けられたものです。
汐路町2丁目交差点の南西に「名古屋女子大学」の建物が見えます。 大正4年に名古屋女学校として創立した学校で、今では学校法人越原学園として、中学・高校・短大・大学まで設けた総合的な学園となっています。
実はこの辺りは、前述の名古屋市立大学をはじめ、享栄高校や汐路小学校・中学校が、瑞穂通を挟んで県立瑞陵高校、名古屋大谷高校、瑞穂ヶ丘中学校などがありますから、文教地区とも言える気がします。 さて、ずっと歩いて瑞穂通に出てきました。
ここから名古屋市立大学病院前辺りまでのエリアが瑞穂通商店街で、「博物館前商店街」とも呼んでいます。 写真は、たまたま車が通っていない瞬間を写していますが、名古屋市内の環状線の一部として交通量は非常に多い通りです。
「名古屋市博物館」は1977年(昭和52年)に開館した歴史博物館で、今年で開館30周年を迎える事から、9月22日〜11月4日の期間に記念特別展「大にぎわい 城下町名古屋」が開催されます。(※このイベントは終了しました。) 9月30日(日)には関連行事として、「豪華絢爛江戸絵巻〜花魁道中(おいらんどうちゅう)とお鍬祭り(おくわまつり)」が行われます。
「お鍬祭り」は、江戸時代を起源とする60年に1度だけ開催される豊年を祝うお祭りで、尾張地方では今年がその流行年になります。 今回のイベントでは、博物館庭園と瑞穂通商店街を、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を祈って、大須大道町人祭で名物の花魁道中や、商店街手作りの山車、様々な仮装をした集団など、賑やかな行列で練り歩きます。
今回のお祭りは、博物館、瑞穂通商店街、大須商店街連盟の三団体で実行委員会を組織して行うものですが、60年に一度という大変珍しいお祭りですから、是非見てもらいたいと思います。 なお、瑞穂通商店街では毎年夏まつりイベントを開催しています。
写真は、今年の夏まつりイベントの様子ですが、この時には博物館の協力で庭園がキャンドルで飾られ、その様子を建物から見学する事が出来ました。 盆踊り会場の手前に、キャンドルで書かれた文字が良い雰囲気を醸し出していました。
また、地下鉄桜山駅4番出口前にある「秋葉神社」では、瑞穂通商店街と秋葉神社奉賛会の共催で、定期的に「秋葉演芸会」という大道芸の演芸会を催しています。 次回の開催日はまだ発表されていませんが、こちらも地元では楽しみなイベントになっています。
地下鉄の4番出口から構内に入ると、名古屋瑞穂ライオンズクラブが寄贈した「尾張名所図会」を模写した壁画が飾られており、名古屋市内各所の昔の様子を伺う事が出来ます。 さて、これで散策も終わりです。お付き合い頂き、どうもありがとうございました。 《↑このページのトップにもどる》
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